「べき論」が人を苦しめる。凡人な自分を受け入れる。

こんにちは、キョロ(→プロフィールはこちら)です。

10月末頃から体調を崩し、なかなか本調子に戻らなかったので、やることを最低限にして、ダラダラと過ごしていました。

いつもなら、細々としたTO DOリストをちょこちょこ見返し、「これが終わったから、次はこれ!」という感じで、慌ただしく過ごしていました。

スイッチが入っているわたしは、休憩時間さえも惜しんでしまいます。

でも、今回の長期の体調不良のおかげで、気づいたことがあるんです。

それは、「絶対にやらなきゃいけないことなんて、さほど多くない」ということ。

専業主婦で、むすめは小学生になったからなおさらだと思いますが、「なんでもかんでも、やらねば」と思い込んでいたのは、わたしの思い込みでした。

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テキトーに生きてもなんとかなる

体調不良は、1ヶ月以上にわたり、その間、誰とも会いたくなくなったし、大好きな自己啓発書も読みたくなくなりました。

目標達成に向けて、今やるべきことを見極めて、できたかどうかのチェック……というのも面倒で、しばらくは目標達成を忘れてゆったり過ごすことにしました。

TO DOリストを見て、自分を追い立てるのも中止。

なんとなく過ごす毎日です。

やっていたのは、最低限のこと。料理をするとか、掃除をするとか、最低限の用事をこなすとか。

でも、何も困らなかったんです。

料理を出していれば家族に文句を言われることはなかったし、自己啓発書を読んでいなくても、生活は回りました。

目標達成をしてもしなくても、家族に何の影響もないことに気づきました(目標は、ダイエット完了!)。

わたしが「やるべき」と思っていたことは、「別にやらなくてもいいこと」だったんですね。

「理想のために生きる」というのは、人生の嗜好品のようなもので、ないならないで、なんとかなるものだったのです。

生活が回れば、とりあえずそれでいいんです。

仕事に意義を見出せなくても、生活するお金を稼げていれば十分。

目標達成できなくても、毎日の大小さまざまなトラブルと向き合って解消して、なんとか生活できていれば、それでいいのです。

仕事の意義とか、理想の人生とかは、二の次でいいのだと、改めて気づきました。

ムダなことを楽しむ幸せ

体調不良でしんどい時期だったので、どうにか気持ちをまぎらわそうと、大好きだった英語の勉強を再開したり、小説の世界にドップリ浸かったりしてみました。

心身ともに絶好調のときだと、時間を惜しんでなかなかできなかった趣味です。

これらに取り組む時間が、本当に至福のひとときでした。

「やらなきゃいけないことは最低限でいい」と割り切っていたので、心から楽しむことができたんですね。

小説は、高校生の頃まではしょっちゅう読んでいました。1日1冊、読むレベルです。

それが、大学生になり、周りが仕事を始めるようになってから、だんだん読めなくなっていった。

周りが自分の価値を高めて、それを収入に変えていくのを見ると、「そんなことをしている場合ではない。自分の商品価値を高めて、世の中から求められる自分にならなくては」と思うようになってしまったのです。

自分の能力や存在が、世の中に認められて求められれば価値がある。そうでなければ、自分の価値はゼロ。

そう思い込んでいる節がありました。

でも、人間は「商品」ではありません。

他人から求められようが、求められまいが、関係ないし、そもそも「価値があるかないか」と考えるのが、無意味。

もうこの世に生まれてしまったんだし、とりあえず、死ぬまで生き切ったらいいのです。

世の中から見て、価値があろうがなかろうが、ただ生きればそれでよし、ということなんです。

体調不良で、価値を生み出せなくなったわたしは、そんな結論に至りました。

凡人で生きればいい

ありがたいことに、わたしは小学生の頃から、周りの人から評価されることが多かったのですが、今思うと、この「他人からの評価」が自分の人生を狂わせたのです。

小学生の頃は勉強ができたので、卒業前の成績表は、1つ“B”がついただけで、あとは“A”でした。

中3の学年末テストは、500点中498点という成績で、ぶっちぎりの1位。

周りから、「やっぱりキョロはすごいね」と言われることに快感を覚えて、徐々に「評価されること」以外に興味を持たなくなりました。

この頃からだと思います。わたしが「つまらない人間」になったのは。

自分自身、評価につながらない「ムダなこと」は楽しめないし、他人がやっているムダなことを、否定するようになっていきました。

「そんなくだらないことしていないで、もっとちゃんとしろよ」と内心、人を小馬鹿にすることもしばしば。

そして、自分に「こうあるべき」をどんどん課していくようになったのです。

そうこうしていくうちに、「こうあるべき」にいつまでもたどり着けない自分にイラ立つようになり、いつの間にか、過度のストレスで入院にまで至ってしまいました。

家庭環境などの影響もあるのですが……、もっと早く「他人からの評価」を手放すべきでした。

若いうちから「凡人」として生きる人生を肯定できていたら、こんなことにはならなかったのだと思います。

むしろ、「凡人でいいや」と思って生きるほうが、余計なストレスを抱えることなく、図太く生きていたのかもしれませんね。

体調が少しずつ回復しつつある現在ですが、これからは「すごい人」を目指すのはやめることにしました。

最低限、求められていること、たとえば家事とか育児とかはやりますが、それ以外の点では、自分が「いい」と思ったことはいい、「よくない」と思ったことはよくない、という価値観で生きることに。

気が弱いので、「あ〜やっぱり評価されたい」と承認欲に負けることもあるでしょうが、それでもまた、「好きなように生きる」と決意し直しながら、自分軸を固めていきたいと思います。

というわけで、ブログも「好かれるか、好かれないか」よりも、「自分の言いたいことを言いたいように言う」を意識して継続していきます。

あたたかく見守っていただければ、と思います。

体調が万全になったら、少し「がんばるモード」に戻り、目標達成に向けての行動も再開していくと思いますが、「やらなくてはいけないことなんて、さほどない」ということを忘れずに、過ごしていく所存です。

では、また!

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

キョロ

「べき論」を手放して、人生を変えよう!

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