「学校に行っていれば安心」は思考停止状態

こんにちは、キョロ(→プロフィールはこちら)です。

学校嫌いのむすめ。

小学2年生になりましたが、欠席する日、別室登校する日、早退する日がちょこちょこあって、わたしから見ても、「むすめの学びのスタイルが学校に合っていないなぁ」と感じる日々です。

むすめの話を周りにすると、「学校に行ってくれたら安心なんだけどね」という言葉が返ってくることがあります。

ですが、それは違うと思うんです。

(話を真剣に聴いてくれることは感謝しています)

思考停止に要注意

「いい学校に行って、いい成績をとって、大企業に勤めれば安泰」という考え方は、ちょっと危険であるように感じます。

「学校に行けば安心」と捉えるのは、思考停止状態であり、子どもの悩みを無視したり、理想をつぶしてしまう可能性があると思うんです。

わが家の場合、むすめの学校嫌いを無視して放置していれば、「こんな毎日を過ごしたい」というむすめの希望や、「ママやパパに気持ちをわかってほしい」という悩みを無視してしまうことになる。

「学校に行っていれば大丈夫だから」

と、子どもに押し付けるのではなく、

「どうやったら学校を楽しめるかな?」

「もし工夫をしても、学校がイヤでイヤでたまらなかったら、どうしようか?」

というように、対話を重ねたり、工夫をしたりすることが大事なんだと思います。

その結果、「やっぱり学校に行く」という結論になるのはアリだと思います。

問題は、何も考えずに、「学校に行っていれば安心」と決めつけてしまうことです。

安全な道が「幸せ」だとはかぎらない

とはいえ、わたし自身、むすめが素直に学校に通っているときのほうが、

「よかった、今日は学校行ってくれた」

と安心してしまいます。

学校以外の選択肢を考える場合、未知のことが多いので、

「勉強は大丈夫かな」

「将来、仕事に困ったりしないかな」

と不安になります。

ですが、むすめの様子を見ていると、学校に行っているときは本当につらそう。

「幸せ」とは、とても言えないような状態です。

「むすめにとっての幸せってなんだろう?」と考えると、「毎日、休まずに学校に通い続けること」が正解ではないように感じます。

つまり、「安全な道=幸せ」ではないということ。

「多少、危なっかしい道でも、本人にとってはそれが幸せ」という状況もあるんですよね。

幸せについて考えてみる

子どもと向き合うとき、「この子にとっての“幸せ”ってなんだろう?」と考えます。

未来の可能性のためにがんばるのは、もちろん大事です。

でも、未来のために、今を犠牲にしすぎるのもよくない。

「未来のための努力」と、「“今、ここ”の幸せ」。

このバランスをとっていく必要があると思います。

「今」の連続の先に、未来があるのなら、「今」を充実させることも大事だと思うんですね。

(大人も同じです)

「学校に休まずに行く」というのは、親にとっては「安心(のように思える)」かもしれませんが、子どもにとっては「幸せ」ではないかもしれません。

「子どもにとって、どんな選択をすることがいいのだろうか?」

「子ども自身が“大切”だと思っていることを、どうやったら守ってあげられるんだろう」

いつも考えています。

「イヤだったけれど、学校に行っていたからうまくいった」

「学校に無理して行ったことで、トラウマになった」

「学校を休んだから、うまくいった」

子どもよって、いろいろだと思います。

だからこそ、思考停止状態にならず、子どもと対話を続けることが大事だと考えています。

子どもと冷静に対話をするためには、ママが心の余裕を持っておくのがとても重要。

リフレッシュの時間をとるなどして、心を満たしておくことをオススメします。

わたしの場合、「この日はリフレッシュにあてたい」という日は、ちょっとがんばって学校に行ってもらっています。

「自分だけががんばっている」とならないように、うまく工夫して、子育てを楽しんでいきましょう。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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