こんにちは、キョロ(→プロフィールはこちら)です。
最近、ブログを1日2〜3記事書いていて、予約投稿をしています。
(ちなみに、この記事は5月4日に書いています。)
わたしにとっては、「書くこと」は呼吸をすることくらいに大事。
「誰もあなたの文章なんて読みませんよ」と宣言されたとしても、おそらく書き続けるでしょう。
こういった「人に評価されなくてもやりたいこと」は、たとえ今後、一切、評価されることがなかったとしても続けるべきだと思うのです。
人から見て「なんでこんなもの?」と思うようなものでも、自分には宝
人から見て「なんでこんなことやってるの?」と思うようなことでも、自分にとっては「かけがえのないもの」であることって、よくあります。
作家の森博嗣さんも、庭でプラモデルだったか、なんだったか(すみません、定かではない)を製作したくて、お金を貯めて夢を叶えられたと、本でおっしゃってました。
それは、収入につながるわけではなく、むしろお金がたくさん必要で、人から評価されることもありません。
言ってしまえば、「自己満足」です。
ひろゆきさんも、別に人に評価されるわけでもないのに、動画をよく観られるそうですね。
わたしも、読書とブログ執筆は、誰に何と言われようと、大好きであることに変わりはありません。
「ブログを書くのに1記事500円必要です」と言われても、書いてしまうような気がします。
本は大量に買うので、どんどんお金は出ていくし、部屋中、本だらけ。
それでも、わたしは読むこと、書くことをやめられないのです。
「よくそんなこと、続けられるね」=才能の種
ほかの人から見て、「よくそんなこと、続けられるね」というようなことを継続できるのは、そこに「才能の種」があるからです。
(と言っても、自分に文才があるかと言うと、首をかしげてしまいますが……笑)
でも、少なくとも、それは苦手ではないのだろうし、ほかの事柄に取り組むよりは成果が出やすいはずです。
ただし、時代の流れやそのときの流行によって、評価されるかどうかは、分からない。
それでも、続けてしまうこと。
これは、絶対に、大切にすべきだと、わたしは思うんです。
あまり「絶対」と言った断言はしないようにしてるのですが、何を差し置いても、大事にしていってほしいと思います。
「評価されなくても続けてしまうこと」は忍耐力を育てる
評価されなくても続けてしまうこと。それどころか、「やめなさい」と言われても続けてしまうこと。
こういったものは「才能の種」であり、忍耐力を育てるものだとも思います。
どんなに嫌なことがあっても、それに取り組んでいるときだけは、嫌なことを忘れてしまう。
没頭しすぎて、一切、雑念がなくなる。
こんな貴重な経験はなかなかできるものではありません。
確実に、人生の支えや生きがいになるはずです。
もしこういった経験ができるものがあるのなら、それはぜひ続けていってほしい。
「専業主婦で、毎日、刺激がない」と思っている人ほど、こういった喜びを味わえる「何か」を積極的に探してほしいと思います。
今、なくても大丈夫。
ないなら、探しましょう。
ぜひ今日から、「興味のあること」にトライしていってほしいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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