こんにちは、キョロ(→プロフィールはこちら)です。
いまプロフィールを書き直しています。
ずいぶん前に書いたもので、自分自身にも変化があったからです。
今後は、もうちょっと自分の言葉で、伝えたいことを発信しようと思っています。
弱い自分をさらけ出すことにした
さて、今回のプロフィールの書き換えで、自分が「複雑性PTSD」を患っていることを追記しました。
過去のわたしはものすごーく病んでいて、目も当てられない状態で。
中学時代には摂食障害になったし、高校時代は生きているのがあまりにつらくて、手の甲を引っかいて、血だらけ・傷だらけになっているときもありました。
大学時代は、うつ病で寝込んでしまい、アルバイトを無断欠席したこともあるし、その後は、体調が悪化して、「気づいたら病院……」というできごともありました。
そのまま半年間も入院することに……(泣)。
今は、「ときどき過去を思い出して、苦しくなって、1〜2週間くらいの寝込む」くらいまで回復しているのですが、
わたし自身の暗い過去も、今のしんどさもさらけ出して、「そういう状況のなかでも、人は変わっていけるんだよ」というのを伝えていきたいと思いました。
「メンヘラ」に対する評価
過去に自殺してしまった有名人のことを考えると、複雑な気持ちになります。
突然、有名人が亡くなると、「つらさを打ち明けてほしかった」とか「助けを求めてくれたらよかった」とか、いろいろな意見が出ますよね。
でも、もし、その有名人が存命中に「生きるのがつらい」と発して、公のニュースになったら、どう評価されていたのだろう……とも思うんですよね。
なかには本気で心配してくれる人もいると思うのですが、「考えが甘い」といった厳しい意見を、無神経に言い始める人だっていると思うんです。
メンタルが弱っている人が「生きている最中」や「評価されるべきものがないとき」は、風当たりが強いように感じます。
「評価されるべき」というのは、何らかの作品とか、肩書きとか、功績とかですね。
夏目漱石や太宰治も、あえて言うなら、「メンヘラ」だったと思うんですけど、彼らは、すばらしい作品を残しているから、認められているし、すばらしい評価も得ている。
でも、もし作品を生み出すことなく、ただ生きていたら「めんどくさい人だった」という評価に終わっていたかもしれません。
「凡人が病んでいる」という状況だと、「メンヘラ」と言われて、距離をとられることもあるのかもなぁと思います。
もちろん、誰かがものすごく病んでいるときに、本気で心配して、大事にしてくれる人もたくさんいます。
でも、「メンタルの不調がある人が暮らしにくい社会」であることも、たしかだと思うんです。
そんなわけで、わたしは、「メンタル不調を抱えて、もがきながら、成長していく自分」をさらけ出していこうと思いました。
それが誰かの心に届いて、「生きるのがつらい」と思う気持ちが、いっときでも薄くなったり、励みになったりするのなら、本望です。
それに、「みんな隠しているだけで、意外と、病んでいる」と思うんですよね。
わたし自身、普段の日常生活で「実は、めっちゃ病んでいます!」なんて公言しません(笑)。
わたしの経験を発信することで、お役に立てたらうれしいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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