「他人のための努力」を「自分のための努力」に変えて人生を変える!

こんにちは、キョロ(→プロフィールはこちら)です。

今でこそ、笑いあふれる毎日を送っているわたし。

でも、20代中盤までは、ネガティブ思考でいつも悩みでいっぱいでした。

いつも頭に浮かぶのは、「生きるのやめちゃおうかな」という心の声。

いま考えてみると、「他人に認められるための努力」ばかりしていたから生きづらかったのだと思います。

「自分のための努力」をしていなかったんですね。

「自分が幸せになるために努力をしよう」

そう決めてから、少しずつ気持ちが満たされた生活が送れるようになりました。

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両親に愛されたいから、がむしゃらにがんばっていた

わたしが、認められるためだけの努力をしていた理由。

それは、両親に愛してほしかったから。

わたしの両親は、人格を否定するようなことを言ってきたり、ほかの子と比べてきたりすることが多かったんですね。

わたしにとって、両親の愛情は、「条件つき」でしかなかった。

ちゃんとしていれば、愛される。

できる自分なら、認めてもらえる。

でも、両親を失望させたら、ほしい愛情はもらえない。

こんな態度を親の言動から感じとっていて、親から認められるための努力をやめられなかったんです。

「親から認められたい」という思いは、「世の中のすべての人から認められたい」という思いに変わり、わたしはどんどん苦しくなっていきました。

「認めれたから何なの?」

でも最近、思うんです。

「認められたから何なの?」と。

認められたり、褒められたりするってすごく気持ちのいいものですよね。

場合によっては、もらえるお給料が上がったり、与えられる役割が変わったりもします。

理想の人生を生きるためには、認められることも大事でしょう。

でも、自分が本当に必要としている以上に、強くなってしまった承認欲は、自分を苦しめるだけ。

「もっと認められたい」

「もっとすごい人になりたい」

欲がどんどん深くなった先には、気の休まらない日々が待っています。

そう考えると、承認欲を起爆剤にしてがんばりつつ、ある程度の幸せが手に入ったら、「認められるのは、もう十分だ」と思うことも大事なのではないでしょうか。

親が自分のすべてではない

とはいえ、親から条件つきの愛情しか得られなかった人は、「両親から愛されたい」という思いを、ずっと抱えてしまいがちです。

実際、わたしがそうでした。

がんばって、今度こそ親に認めてもらいたいと思うのに、毎回、親からは冷たい言葉を浴びせられる。

こんな経験を幾度となく、繰り返してきました。

でも、何年もそんな経験を繰り返して、しんどい思いをして、やっと吹っ切れました。

「親に認められなくてもいい」と。

「認めてくれるのは、親じゃなくてもいい」と、開き直ったんです。

「親は、わたしのすべてじゃないし、わたしはわたしの人生を生きる」と決意したら、スッと気持ちが楽になりました。

それからは、葛藤しながらも、自分の生きたい道を選ぶようになりました。

顔色をうかがう人生から、自分が生きたい人生へ

「親に認められたい」という思いを断ち切ると決めてからは、葛藤の毎日でした。

何か決断を迫られるたびに、

「わたし的にはこっちを選びたいけど、もし親だったら、きっと反対するだろうな」

と想像してしまうんですね。

そのたびに、「でも、わたしはわたしの人生を生きるんだ」と決断し直しました。

毎日、毎日、この繰り返し。

「自分の人生を生きるより、親が望む人生を生きたほうがよっぽど楽」と思ったことも、数えきれないほどあります。

でも、諦めずに、「自分の人生を生きる」と選択し続けた結果、親の思惑からやっと自由になることができたんです。

世間の目からも自由になる

親だけでなく、世間の目も、わたしを苦しめました。

夫に認められたい。子どもにも認められたい。ママ友にも認められたい。

そのためには、努力をしなくては。

親の目が、世間の目に姿を変え、わたしを苦しめたんです。

でも、やっぱりわたしは、自分の人生を生きたかった。

それで、「自分が幸せになるための努力をしよう」と自分に言い聞かせてきました。

今でも、夫の顔色をうかがってしまうことや、むすめの学校の先生の目を気にしてしまうこともあります。

必要以上に、人に気を遣いすぎてしまうことも。

でも、昔みたいに「生きているのがつらい」と思うことはなくなりました。

それに、「人に気を遣う自分でもいいや」と思えるようにもなりました。

わたし自身、自由奔放な人になりたいわけではないと気づけたからです。

「ほどほどに人に気を遣って、ほどほどに自由にやれればいい」

今のわたしは、こんなイメージを持って過ごしています。

他人のための努力はほどほどに。自分の幸せを最優先にする

自分のための努力の割合を、増やしています。

でも、他人のための努力を捨てたわけではありません。

家族や友人がいれば、多少の犠牲を払ってでもがんばらなくてはいけないときがあるからです。

ブログに関しても、自分が書きたい記事だけを書いていたら、読者さんの心は離れていきます。

記事を読んで、「キョロさんのおかげで、人生が変わった!」と思ってもらえるように、自分なりに努力しているつもりです。

ですから、本当は、他人のための努力も、自分のための努力も必要なんですよね。

ただ、他人のための努力ばかりしている人には、自分の幸せのための努力をしてみてほしいんです。

自分のために努力を始めると、少しずつ生きづらさが解消されていきます。

ちょっとずつでいいんです。

「自分はこうしたい」と意思表明してみてください。そして、実際に行動にうつしてみてください。

小さな一歩を繰り返した結果、数年後には大きく変化した自分に出会えます。

ぜひ今日から、「わたしはどうしたい?」と自分に問いかけてみてくださいね。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

キョロ

自分のための努力をして、人生を変えよう!

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