こんにちは、キョロです。
今日のテーマは、「親子関係」。
あなたは、ご両親と健全な関係を築けているでしょうか?
親が依存的で、行動を阻むような言葉をかけたり、思い通りに動かないと小言を言われたりして、自分の行動を制限してしまっている方はいますか?
親はとても身近な存在です。
親の言うことだからこそ、ちゃんと受け入れたいけど、そうすると、自分がどんどん不自由になっていく気がするし、いつまでも親の基準で動いている自分に気づく。
そして、親元を離れても、なんだか生きづらい。
今日は、そんな方のための記事を書きました。
親との関係の影響で、自分を抑え込み、生きたいように生きられない苦しみを抱えている方が、この記事を読んで心が楽になってくれればうれしいです。
そして、一歩ずつ歩みを進めることで、人生が変わっていく喜びを体感してもらえると、もっともっとうれしいです。
依存的な母親と従順で期待に応え続ける子ども
ここで「共依存」という言葉を紹介します。
「厚生労働省 生活習慣予防のための健康情報サイト」から、「共依存」の意味について引用します。
依存症者に必要とされることに存在価値を見いだし、ともに依存を維持している周囲の人間の在り様。
例えばアルコール依存症の妻は、依存症に巻き込まれた被害者と言えます。一方で家族研究から、妻はアルコール依存症者のそばで病気の維持に手を貸している面があり、間接的にアルコールに依存しているという「共依存」ではないかという考えがでてきました。共依存者は被害者であるとともに共犯者でもあり、相手(依存症者)に必要とされることで自分の存在価値を見いだすためにそのような相手が必要であるという、自己喪失の病気であるといえます。
共依存の例として以下が挙げられます。「1. いつも飲まないように口うるさくして、本人の否認を増強させている関係」「2. 世話焼きをし過ぎることで、本人がアルコール問題に直面しないようにしている関係」「3. 夫のアルコールによる失敗の後始末をして、世間にはアルコール問題がないかのようにふるまっている関係」「4. 性格の問題とみなして、 アルコール問題を否認している妻」「5. 夫のしらふの時にはお互いに緊張してよそよそしく、飲むと互いに感情が爆発する関係」「6. 夫のしらふの時には妻が支配的で、飲むと暴力で夫が支配する関係」「7. 夫から離れられず、いつも犠牲者としての悲劇のヒロインを演じ続けている妻たち」などです。
もちろん依存症者がどの立場であるかによって、「夫や親」「親戚」「友人」「上司」などに共依存が生じ得ます。
つまり、親子関係でいう共依存とは、依存しているのは母親であって、子どもはその被害者のようにも見えるのですが、子どももその依存に応えることで、依存関係を強めてしまっている状態です。
どちらかが、依存するのをやめれば、その関係は、続けることが難しくなるのですが、それができないから、この問題が続いてしまうんですね。
実際に、わたしが母との共依存に苦しみ、そこから抜け出すために20年近くの歳月を要しています。
ですので、そう簡単に解決する問題でもないことはよく分かっています。
それでも時間と労力をかければ、間違いなく解決する問題だということも、分かっています。
是非、経験者が語る言葉として、少しでも共依存で苦しんでいる方の心に響くものがあるといいなと思います。
さて、なぜ親と共依存関係に陥った子どもは、親元を離れても、社会に出てもなお、「生きづらさ」を抱えることになるのでしょうか?
家庭というのは、社会を縮小したものだと、わたしは考えています。
なので、家庭で起きていることは、そのまま社会での生活に反映されてしまうんですよね。
家庭内での自分のあり方が、そのまま社会での自分のあり方にすり替わってしまう。
共依存関係にあって、たとえば、母親の言葉に自分の人生を左右されてきた子どもは、社会に出ても、母親の代わりに世間の言葉に人生を左右されていきます。
自分軸の考え方ではなく、基準はいつも自分の外にあるんです。
自分の選択に対し、いつも
「パートナーはどう思うだろうか」
「世間はどう思うだろうか」
という基準を持ち、判断していることで、自分の人生は窮屈になるばかりです。
だから、共依存関係の中に入り込んでしまった子どもは、大人になっても「生きづらさ」を抱えてしまうんです
共依存関係にどっぷり浸かった20年に渡るわたしの経験
わたしも、ずっと親に縛られて生きてきました。
反抗をすると、「大変な思いをして教育費を出してあげてるのに、よくそんなことを言えるね」と言われることもありました。
意見を言うとか、反抗するとか、そういった自己主張をしようものなら、親の権力を振りかざされ、封じ込められました。
そんなふうに言われると、わたし自身も、「親にこれだけ迷惑をかけているのだから、せめて親の言うことを聞かなくては」と罪悪感を感じ、自分の意見を押し通すことはできませんでした。
でも、子育てをしたり、教育の分野を学んで気づいたのは、「子どもが自己主張をしていくことは、自立への第一歩」だと言うこと。
そして、もう一つ気づいたのは、親との関係が、「安心・安全」でなければ、子どもは自己主張はできないということ。
だから、親と健全な関係を築けない子どもは、自信を持って自己主張をすることが、苦手になる傾向があります。
親との関係が「安心・安全」ではなかったわたしは、いつまでも、自立ができませんでした。
「親に甘えたい」という気持ちが払拭できない。
でも親に甘えることはできない。
その結果、体に現れてきたのは摂食障害のような症状。それに加えて、いつも彼氏が尽きず、彼氏がいないと不安定に。その上、うつ病を悪化させ、半年の入院。
親との共依存関係から抜け出せずに、ずるずると引きずること20年。
母の期待に応えるために、死ぬ気で努力してきた(というよりは、努力をせざるをえなかった)にもかかわらず、待ち受けていたのは、一切、社会に適応できなくなった自分。
「死にたい」という言葉ばかりが、頭を占め、人生どん底の経験をしました。
依存関係(共依存)に陥った場合にとるべき行動と心がまえ
そんな経験をしたわたしから、おすすめの行動と大切な心がまえについて、解説していきます。
1、築くべき人間関係は、お互いの変化を喜べる関係
今まで期待に応えることばかりだった人に必要な人間関係は、
「嫌われたら、嫌われたでいいんだよ」
「中には好きでいてくれる人もいるよ」
「どんな失敗しても味方でいるからさ」
といったあたたかな言葉が行き交う関係です。
子どもにとって、親はとても大きな存在のため、親の生き方を拒絶し、新たな考えや価値観を受け入れることに痛みを伴うかもしれません。
でも、もし「生きづらさ」を解消したいのなら、その痛みを受け入れる勇気が必要です。
そして、実際に、上に書いたような人間関係を築き、自分に対しても書いたような言葉をかけられるようになると、生きづらさもどんどん解消されていきます。
2、自分で自分を育てる決意
変化を喜び、自由になっていくことを承認し合える人間関係ができることは、とても大切ですが、なかなかそういう環境が整わないこともあります。
なぜなら、いま自分を取り囲んでいる人たちは、自分と同じような価値観を持っていることが多いから。
「類は友を呼ぶ」の原理です。
なので、あなたが変化しようとすれば、周りの人たちが、
「やめたほうがいいよ」
「あなたらしくないよ」
と反発してきたり、圧力をかけてきたりします。
そうなったときに、「自分で自分を育てる決意」を持ち、勇気を持って果敢に行動し続けることができるか、それが共依存を卒業する鍵です。
誰も助けてくれなかったとしても、誰も自分が頑張っていることに気づいてくれなかったとしても、自分を育て続けるんです。
それは、ものすごく孤独な作業かもしれません。
でも、わたしが言いたいのは、その孤独な作業は永遠には続くわけではなく、あなたが頑張っている姿を見て、感化され、支えてくれる人は、必ず現れるということ。
だから、もし、今すぐに、あたたかな人間関係を築けなかったとしても、自分を育て続けることを諦めないでほしいです。
3、「いつか必ず変われる」と信じ続ける心
不健全な親子関係で作られてしまった心のゆがみを治していくのは、長い道のりです
「自分を変えよう」と思ったからといって、明日、人生がガラッと変わっているようなことはありません。
ベストセラーになった「嫌われる勇気」(岸見一郎)において、「性格や気質(人生における思考や行動の傾向)」のことを「ライフスタイル」と表現しますが、このライフスタイルを変え、生き方まで変わるのは、「それまで生きてきた年数の半分が必要」と言われているほどです。
わたしの例を挙げますが、わたしが精神的に不安定になり始めたのは、中学生の頃。
高校で抑うつ状態になり、大学時代(20歳頃)にうつ病を発症しました。
中学生の頃に「これはおかしい」と危機感を感じ、心理学系の本を読み始め、行動を始めたのが高校生の頃。
そして、親子の共依存関係を卒業し、生き方が大幅に変わってきたのは、25〜30歳の頃です。
親との関係に違和感を感じ、自分と向き合い始めてから、その問題が落ち着くまで、10年以上かかっています。
とても長く道のりでしたが、暗く長いトンネルを抜けたあとの開放感、自由の喜びは、言葉では表しきれません。
そう簡単に変われるものではないので、気持ちが揺らいだら「自分は変わるんだ」と何度も決意し直すことが大事です。
それは、ものすごく怖いことで、勇気がいることです。
何度も何度も葛藤することになります。
「自分はやっぱり変わらないかも」と思うこともたくさんあります。
むしろ、「自分は変われる」と思えることのほうが、まれかもしれません。
それでも、自分で自分を育て続け、「いつか変われる」と励まし続けてください。
4、親の問題を抱え込むクセを手放す勇気
共依存関係に陥りやすい子どもの特徴として、「従順であること」「努力をすれば期待に応えられてしまう」などがあります。
だからこそ、
「お母さんはあなたのことをすごく大事に思ってるんだよ」
「子どもを大切に思わない親はいない」
といった周囲の言葉に縛られ、親に反抗したり、主張することができなくなり、生きづらさを抱えるようになります。
親の気持ちをよく察することができる子どもは、親がどれだけ自分を必要としているのかに、無意識に気づいています。
そして、共依存関係に陥る母親は、周りから見ると、「教育熱心ないいお母さん」とも写りがちなので、親に反抗する様子を周りが見て
「あんなにいいお母さんなのに、わがまま言っちゃダメだよ」
という言葉をかけてきたりすることもあります。
そこで、罪悪感を植え付けられた子どもは、もう自由に生きることはできません。
しかし、そうやって子どもの主張を抑え込むのは親の弱さであって、子どもの問題ではないんです。
しかし、一生懸命、親の期待に応えようとする子どもは、つい母親の役に立とうします。
そして、子どもが母親をかまい続けることで、母はますます依存的になっていくんです。
子どもはどうあるべきなのか?子どもは親のもとに生まれた時点で親孝行を終えている
しかし、わたしが子育てをして思うのは、「子育てをさせてくれたことそれ自体が親孝行」ということです。
娘はもう3歳半になりましたが、生まれてすぐ抱きとめたときの喜びや、わたしにほほえみかけ、頼ってくれる喜びを体感できたこと、それだけでもう十分。
その上、子育てを通し、未熟なわたしを、育ててくれ、新たな自分に気づかせてくれる娘。
子育てをしたことで、わたしはより深い幸せを感じることができるようになりました。
子どもに過度の期待をし、「自分の人生の支え」にしてしまうことは、子どもを押しつぶす、ということは頭の隅に置いて育児をしています。
そのおかげで、娘はわたしにとって「宝」でありながら、わたし自身の人生も楽しむことができています。
今日からでも「いい子」を卒業し、人生を変えていく決意をすることはできる
もし、親が支配的であったとしたら、できるだけ早い段階で、期待に応える「いい子」をドロップアウトすることをおすすめします。
精神的に距離を置こうとするのもいいのですが、強行突破で、一人暮らしをするのもいいと思います。
わたしも高校卒業を機に、一人暮らしをしたことが転機になりました。
親には猛反対されましたが、親の支配に限界を感じ、疲れ切っていたからです。
もし、すでにすっかり大人になってしまったとしても、今からでも自分を変え、人生を変えていくことができます。
だから、苦しくて苦しくてたまらないのなら、是非、親にとっての「都合のいい子」を卒業して、新たな自分をつくっていってください。
変われないのは「親のせい」ではない。共依存を自分の問題として捉え、人生を切り開いていく決意を
しかし、つらいと言っても、実は、変わらないことのほうが楽かもしれません。
つらくても「親のせいで、自分の人生がめちゃくちゃだ」と言い、「変わらない理由」にしていれば、新たな行動を起こす必要はありません。
予想通りの未来が展開し、想像もできない失敗をすること、周囲との軋轢などを避けることができます。
経験者としてあえて、厳しいことを言うと、大人になってしまった以上は、この問題は自分でどうにかしていかなくてはいけません。
親を変えることはまず不可能です。
自分が変わった結果として、親が変わることはありますが、親を変えることを目的にしてしまうと、うまくはいきません。
まとめ:自由な自分への変化を恐れない。あなたは生きたいように生きていい
幼い頃から、一番頼りにしたかった親に頼れないことで、あなたは寂しさを覚えるかもしれません。
親との関係がきっかけで、たくさんつらい思いをしたかもしれません。
それでも、あなたは、新たな人間関係、支え合える関係を外の世界につくり、自分の人生を変えていくことができます。
自分が変わっていくのを諦めないでください。
どんなにつらい毎日だとしても、「自分だって変われるかもしれない」と思って行動を起こしてください。
いつか
「変わってきたかもしれない」
「確実に変わってきた」
と実感できるようになります。
それは、経験者であるわたしが保証します。
「親の期待に応えられなくても、どんなにダメなところがある自分でも、幸せになることができる」
そう信じて一歩を踏み出してほしいなと思います。
あなたが今よりもずっと輝いていくことを、心から応援しています。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
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