解決すべき問題にぶつかったとき。
「誰か、この問題を解決してくれないかなぁ」
と、他力本願になっていませんか?
これ、「夢が叶いますように」って神社にお参りに行くのに、普段、何も努力していない人と一緒です(笑)。
神社で「受験に受かりますように」って願っても、実際に勉強をしていなければ合格は難しいですよね。
願うだけではダメ。
では、問題を解決し、現状を変えるためには、何が必要なのでしょうか。
当事者意識を持とう
問題を解決したいなら、他力本願をやめて、「当事者意識」を持つことが大切です。
「この問題に対して、自分ができることは何か」と常に考えて、実際に行動に移していくことが重要。
他力本願で「いつか、誰かが問題を解決してくれるはず」では、現状は変えられないんです。
時々ならば、自分以外の誰かが、問題を解決してくれるときも、あるでしょう。
自分の様子を見かねた親が、手を差し伸べてくれることもあるかもしれませんね。
(子どもに幸せになってほしいと思う親は多いですよね。多少、無理があっても親は子どものためなら、やってのけてしまうことがあります)
でも、基本的には、「問題は自分で解決する」という心づもりでいたほうがいいと思います。
「いつか誰かが、わたしを幸せにしてくれる」というのは幻想。
「自分が自分を幸せにする」という覚悟でいたほうがいいと思います。
そうやってひたむきに努力を続けたご褒美に、「誰かが自分を幸せにしてくれる」ということなら、起きる可能性はあります。
(わたしは、かつて、「こんなにけなげに頑張っているなら、応援したい」とお付き合いを申し込まれたことがあります……笑)
でも、それは「おまけ」みたいなもの。
「自分の人生は、自分で切り開くもの」
そう決めている人こそが、現実を変えていくことができる人なんです。
「誰かにどうにかしてほしい」を続けると、物事は進まない
問題にぶつかったとき、「誰かにどうにかしてもらいたい」という気持ちがわいてくることがあります。
わたしの例を挙げると、
・今日、料理するのが面倒だなぁ。献立を考えるのもイヤだし、夫に相談したら、何かいい方法を提案してくれるかも……。
・今日、どうやって過ごそうかなぁ。何か楽しいことしたいけど、考えるのが面倒……。
・子どもの学校のこと。自分が最終決断を下すのがイヤだなぁ。誰かいい方法を考えてくれないかなぁ……。
といったことです。
この状態を放置すると、ずるずると問題は引きずったまま、時間だけが過ぎていきます。
いつまで経っても変化がないので、イライラも募っていきます。
わたしがよくやってしまうのが、このやりとり。
ーーーーーーーーーーーー
【朝から「今日、料理を作るのが面倒……」と思っている日の夫とのやりとり】
わたし「今日、ご飯作るの面倒なんだよねぇ」
夫「なんでもいいよ」
わたし「“なんでもいい”って何?結局、わたしががんばらないといけないじゃん」
夫「じゃあ、キョロはどうしたいの?」
わたし「え、わかんないけど、ご飯を作るのが面倒なんだよ……」
→ピリピリした空気が流れ、時にはケンカになることも。
ーーーーーーーーーーーーーー
こういうやりとりを何度もして、最近は悟りました。
「夫に、どうにかしてもらおう」という発想をやめよう、と。
最近では、ご飯作りに疲れたら、
「今日は、ご飯作りに疲れたから、楽をしたいんだけど、インスタントラーメンか、スシローに行くか。どちらがご希望?」
と夫に聞きます。
自分で対策を考えて、夫に確認するようにしたんです。
夫はどちらかを選ぶだけ。
やりとりがシンプルになり、ケンカが減りました。
「誰かにどうにかしてほしい」をやめて、「自分でどうにかする」。
この精神がとても大切だと思います。
自分でコントロールできること・できないこと
「自分でどうにかしよう」と思うと、何でもかんでも自分で抱えてしまう人がいます。
まさに、昔のわたしがそうでした。
自分のことだけでなく、他人のことまで、自分の問題だと捉えてしまう。
すると、いっぱいいっぱいになって、しんどくなります。
しかも、相手のためにもならないんです。
相手が解決すべき問題を取り上げてしまうと、相手が成長する機会を奪ってしまうことにもなりかねない。
取り組むべきは、「本当に自分が向き合うべき課題」です。
子どもの友達関係に首を突っ込むのでもなく、他人の家族のことをアレコレ詮索するのでもありません。
自分が本当に考える必要のあることを考え、それ以外は手放すこと。
それだけで十分だと思います。
というか、それをやるだけで、十分、手一杯になると思います。
完璧な人なんておらず、みんな何かしら問題を抱えています。
それぞれが自分の課題と向き合い、成長していけばいいと思うんです。
そう考えてみると、「人のことを考えている余裕なんてない」という人が大半なのではないでしょうか。
だからこそ、「誰かにどうにかしてもらいたい」ではなく、「自分でどうにかしよう」という精神が大切なんです。
一生懸命やっていれば、いずれ協力者が現れるかもしれません。
それまでは、自分にできることをコツコツやっていきましょう。
そんな、けなげなあなたに、いつか「この子を助けてあげたい」という人が現れるのだと思います。
協力してくれる仲間がほしいなら、精一杯、生きていきましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
noteでも執筆中
noteでも記事を書いています。
最近の記事がこちら。
複雑性PTSDと子育て④毒親に育てられても、子どもに愛情を伝えることはできる。シンプルな育児のススメ
自己紹介。複雑性PTSDになった経緯②現在、快方に向かっています。
子どものために「よかれ」と思ってやっていたこと。子どもの心を観察して気づくこと
やらなければうまくならない。「うまくいかない時期=喜びを育てている」と捉えてみよう
よかったら、遊びに来てくださいね。
コメントを残す