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35年生きてきて得たもの、失ったもの。思いどおりにならない現実と謙虚な気持ち

こんにちは、キョロ(→プロフィールはこちら)です。

6月に35歳になりました(2024年時点)。

35歳にもなると、さすがに心身にも衰えが……。

シミ・しわは増えていくばかりだし、前髪のあたりは白髪だらけ。

勉強や読書、ブログなどを長年、続けていますが、体のメンテナンスを行なっていなかったので、眼精疲労・巻き肩・猫背なども、一向によくなる気配がありません。

最近は、たくさんのアレルギーも発症して、食べられないもの、触れられないもの、注意事項がたーーーくさん増えました。

気をつけていないと、うっかり、「歳をとって失ってばかり」と悲観してしまいそうです。

昔に比べて失うことが増えた、30代中盤。

でも、失うことに比例して、得たものもあります。

「どうしようもできないことを受け入れる力」

「自分のキャパシティーを超えずに日々のやるべきことをこなす力」

「かぎられた体力とお金、時間をどこに注ぐか、という指針」

「他人や子どもを思いどおりにしようとするクセを手放すこと」

「他人に自分と同じようながんばりを求める習慣を手放すこと」

「老いを受け入れ、若さにこだらわず、それ以外の部分に価値を置けるようになったこと」

こういった能力を得ることができたんです。

まぁ……ざっくり言うと、

「生活に支障がない程度に、力を抜いて生きていけるようになった」

ということでしょうか(笑)。

「まぁ、しょうがないよね」ができるようになったのです。

若い頃、(自分から見て)がんばりが足りない人を見ると、イライラしていました。

イライラするだけでなく、「ちゃんとやれよ」オーラもがんがん出ていたと思います。

「がんばりが足りているか、どうか」なんて、わたしが決められることではなかったんですがね。何様のつもりだったのでしょう……(笑)。

でも、この歳になってみると、

「そうしていかないと、身が持たないんだな」

ということも、わかってきました。

それに、人それぞれ、がんばるモチベーションも、がんばれる度合いも違うんだな、ということにも気づけた。

そういった状況を受け入れられず、「わたしのやり方はまちがっていない!」と思い込んでいたあの頃。

視野が狭かったなぁ……。

そう考えると、わたしは、35年生きることで、視野の広さも手に入れたわけです。

「諦める力」を手に入れたわたし。

きっと、前よりずっと、人に迷惑をかけているんだと思います。

いろいろ手伝ってもらうことも増えたし、教えてもらうことも増えました。

「申し訳ないなぁ。自分で解決できたらなぁ」と思うことも多いです。

でも、今のほうが、人の関係性があたたかい感じもします。

自分も周りの人に甘えるし、周りの人も自分に甘えてくる。

いい感じに、依存し合っているんです。

こういった健全な依存なら、わたしは問題ないと思っています。

「あなたがいなければ何もできない」という病的な依存は、やめたほうがいいと思いますが、健全な依存関係だったら問題なし。

親との不和、いじめに遭った経験などから、人を寄せ付けない時期もあったわたし。

でも、やっぱり、人は「一人では生きていけない存在」で、「人に支えられて生きている」のです。

「人生のすべてを自分で攻略している」と思ったら、大間違い。

助けられているんです。

両親の病気、自分の闘病、育児、老い……、悩みは尽きません。

まぁ誰にも「いろいろある」んですよね。

でも、こういった悩みと共に生きた35年間は、自分に「謙虚であることの大切さ」を教えてくれました。

「周りの人たちに、こんなによくしてもらっているんだから、自分も何かできるといいなぁ」なんて思いながら、

でも、大したことはできなくて、

「とりあえず、笑顔であいさつ!」

をモットーにして生きる日々です。

失えば、得るし、得れば、失うんですよね。

「何かを失った」と思ったら、「で、何を得た?」と、自分に問うてみましょう。

何かを得て、舞い上がっているときも、冷静になって、「で、何を失った?」と考えてみてもいいかもしれません。

そうすれば、「慢心して大失敗……」という暴走が防げるかも……。

まぁ、歳をとっても、失ったことばかりではないですし、もし、失ったことばかりだったとしても、「ありがたいこと」を探し続けていきたいですね。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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