こんにちは、キョロ(→プロフィールはこちら)です。
学生時代に、生徒会副会長、部活動でのリーダー、学級委員など、いろいろな責任ある活動をさせてもらいました。
小学生、中学生のときの成績は学年トップ。中学生のときは、教育委員から「模範児童」ということで、表彰も。
その他、読書感想文のコンテストやエレクトーン大会での入賞など、いろいろな分野で表彰状をもらいました。
でも今になって思うんです。
「だから何なの?」と。
キョロが所属する【習慣化オンラインサロン】で活動してみませんか?
月額5,500円(税込)で毎日が充実します!
「習慣化オンラインサロン」のご案内
肩書き・功績はその時点で過去のものになる
華々しい経験をうらやましく思われるかたも、いるかもしれません。
こういった経験をしたのは、主に10代の頃。わたし自身、その当時は鼻高々でした。
でも、30代も中盤にさしかかった今、あの頃の功績や肩書きはもう何の意味も持ちません。
人と付き合うときに、わざわざ自慢することもないですし、いま付き合っている人たちは、肩書きを見て付き合ってくれているわけではありません。
肩書きや功績は、その時点で過去のものになります。
だから、肩書きや人からの評価のために、がんばりすぎる必要はないと思うんです。
がんばった経験は忘れずに
肩書きや功績がほしくてがんばった経験。
これは今の自分には不可欠なもので、「がんばっていてよかった」と心から思います。
がんばったことで、「自分だってやればできる」と思えるようになりましたし、今こうやって当たり前に努力できることも、過去のがんばりのおかげです。
それに、多少はそうやってがんばっていかないと、お仕事がもらえなかったり、不当な扱いをされることもありますよね。
わたし自身、学生時代は成績がよかったので、先生からはプラスの評価をもらえることが多くあり、それで得したことも多々あります。
親からも、勉強のことに関しては、何も文句は言われませんでした。
テストの点が悪い友達のなかには、先生から怒られたり、親から口うるさく「勉強しなさい」と言われる子たちもいて、それはそれで苦労していたようです。
肩書きや功績のおかげで、助けられたことも多々あるんです。
「他人からの評価」で人生を埋め尽くさないで。
ただ、忘れてはいけないのは、学校や社会からの評価がすべてではないということなんです。
他人からの評価は、ひとつのモノサシ。
そのモノサシだけで、自分の言動をジャッジするのはとても危険なんです。
学校の成績が悪かったら、「自分はダメ人間」。
家事や掃除がうまくできないと、「主婦失格」。
子どもとケンカをしてばかりだと、「ひどい母親」。
他人のモノサシを基準に生きていると、その評価から逸れたときに、とても苦しみます。
自分基準のモノサシがなければ、自分の幸せが何なのか、わからなくなってしまうんです。
実際に、学生時代のわたしがそうでした。
先生や親から褒められる行動ばかりとって、本当に大好きなことをやるのはガマン。
結果、メンタルの不調があらわれました。
他人からの評価、がんばって得た肩書き。
こういったものは自分の一部であり、それがすべてではないことを、頭の片隅に置いておくといいかもしれません。
他人のモノサシで生きるのもほどほどにして、「自分が幸せ」と感じられる瞬間を増やしてみるのはいかがでしょうか。
ちなみにわたしは、カフェや自宅で読書するのがいちばんの幸せ。その時間を確保するのを第一優先にしています。
「すごい人になろう」ではなく、「幸せな自分になろう」と捉えてみるのもいいと思いますよ。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
肩書きや評価にこだわらずに、人生を変えよう!
お知らせ