他人のモノサシではなく、自分のモノサシをもつ

こんにちは、キョロ(→プロフィールはこちら)です。

学生時代に、生徒会副会長、部活動でのリーダー、学級委員など、いろいろな責任ある活動をさせてもらいました。

小学生、中学生のときの成績は学年トップ。中学生のときは、教育委員から「模範児童」ということで、表彰も。

その他、読書感想文のコンテストやエレクトーン大会での入賞など、いろいろな分野で表彰状をもらいました。

でも今になって思うんです。

「だから何なの?」と。

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肩書き・功績はその時点で過去のものになる

華々しい経験をうらやましく思われるかたも、いるかもしれません。

こういった経験をしたのは、主に10代の頃。わたし自身、その当時は鼻高々でした。

でも、30代も中盤にさしかかった今、あの頃の功績や肩書きはもう何の意味も持ちません。

人と付き合うときに、わざわざ自慢することもないですし、いま付き合っている人たちは、肩書きを見て付き合ってくれているわけではありません。

肩書きや功績は、その時点で過去のものになります。

だから、肩書きや人からの評価のために、がんばりすぎる必要はないと思うんです。

がんばった経験は忘れずに

肩書きや功績がほしくてがんばった経験。

これは今の自分には不可欠なもので、「がんばっていてよかった」と心から思います。

がんばったことで、「自分だってやればできる」と思えるようになりましたし、今こうやって当たり前に努力できることも、過去のがんばりのおかげです。

それに、多少はそうやってがんばっていかないと、お仕事がもらえなかったり、不当な扱いをされることもありますよね。

わたし自身、学生時代は成績がよかったので、先生からはプラスの評価をもらえることが多くあり、それで得したことも多々あります。

親からも、勉強のことに関しては、何も文句は言われませんでした。

テストの点が悪い友達のなかには、先生から怒られたり、親から口うるさく「勉強しなさい」と言われる子たちもいて、それはそれで苦労していたようです。

肩書きや功績のおかげで、助けられたことも多々あるんです。

「他人からの評価」で人生を埋め尽くさないで。

ただ、忘れてはいけないのは、学校や社会からの評価がすべてではないということなんです。

他人からの評価は、ひとつのモノサシ。

そのモノサシだけで、自分の言動をジャッジするのはとても危険なんです。

学校の成績が悪かったら、「自分はダメ人間」。

家事や掃除がうまくできないと、「主婦失格」。

子どもとケンカをしてばかりだと、「ひどい母親」。

他人のモノサシを基準に生きていると、その評価から逸れたときに、とても苦しみます。

自分基準のモノサシがなければ、自分の幸せが何なのか、わからなくなってしまうんです。

実際に、学生時代のわたしがそうでした。

先生や親から褒められる行動ばかりとって、本当に大好きなことをやるのはガマン。

結果、メンタルの不調があらわれました。

他人からの評価、がんばって得た肩書き。

こういったものは自分の一部であり、それがすべてではないことを、頭の片隅に置いておくといいかもしれません。

他人のモノサシで生きるのもほどほどにして、「自分が幸せ」と感じられる瞬間を増やしてみるのはいかがでしょうか。

ちなみにわたしは、カフェや自宅で読書するのがいちばんの幸せ。その時間を確保するのを第一優先にしています。

「すごい人になろう」ではなく、「幸せな自分になろう」と捉えてみるのもいいと思いますよ。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

キョロ

肩書きや評価にこだわらずに、人生を変えよう!

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