何も生み出さない活動や、一見、無意味だと思える活動をしたあとに、
「ムダな時間を過ごしちゃったな」
「もっと、役に立つことをすればよかった」
と思うことはありませんか。
わたしは、よくあります。
・小説に没頭したあと
・手帳会議に集中しまくったあと
・書店で立ち読みをしていたら30分経過していることに気づいたとき
・水泳教室の仲間と30分以上、話し込んでしまったとき
こんなときに、
「しまった、もっと有意義なことをすればよかった」
と思ってしまいます。
でも、思うんです。
一見、無意味なことでも、自分が「満足」しているなら、ちゃんと意味があったのだと。
よくないのは、そういう時間のあとに、「やっちまった」と後悔したり、自分を責めたりすること。
ネガティブな感情に浸ってしまうことが問題なのであって、無意味だろうが、ムダだろうが、自分にとって「幸せな時間」なのであれば、それでいいんです。
せっかく、思いっきり楽しんだのに、「ムダなことをしてしまった」と、素敵な時間を台なしにしてしまう。
これは、やめたほうがいい。
そもそも、それが「ムダ」かどうかは、自分が決めることです。
自分にとって、意味があれば、それでいいんです。
それに、「意味がないことをしちゃいけない」なんてルールはないんですよね。
「意味があること」を求めすぎるのも、問題だと思っています。
自己投資にならなくても、何も生み出すことがなくても、自分が取り組みたいと思ったら、取り組めばいい。
大切なのは、自分が納得していること。
ちゃんと幸せを感じられていること。
「意味があるかどうか」にこだわらず、素直に、やりたいことはやってもいいんじゃないかな。
わたしは、そう思います。
小説がおもしろくなってきたとき、わたしは、2時間以上、没頭してしまうことがあります。
そういうときは、自己投資のための読書はしません。
それをムダだとは思わない。
ただし、自己嫌悪するほど、没頭はしません。
「食事の準備をせずに、読み続ける」とか、「時間を気にせず、読み続ける」とか。
やりすぎると、「ちゃんとすればよかった」と思ってしまうので、自分が許容でいる範囲で、無意味なことをしています。
いつも、成長する必要はありません。
ムダも、楽しんでいきましょう。
ちょうどいいバランスで、がんばったり、ゆるんだり。
そのバランスも、自分で決めていいんです。
どう生きるかは、自分で決めて、納得して、自分で自分を幸せにしていきましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
キョロのプチ日記
昨日は、家族でブックカフェへ。
3冊ほど本を読みました。1冊、よい本があったので、購入。
家に帰ってきて、冷蔵庫の整理や、薬箱の整理。
「やらなきゃ」という焦りが解消されたので、スッキリしました!
その後は、ゴロゴロ、ダラダラ(笑)。
原田ヒ香さんの『三千円の使いかた』を読了しました。
コメントを残す