学校を休む日が多いむすめ。在宅勤務が多い夫。
「週5は、家族全員が自宅にそろっている」という異様(?)な環境で、妻として、母として、やることが尽きません。
自分ひとりで過ごす時間も少ないので、「疲れた…自由になりたい…」と思うこともあります。
これまで基本的に、「ご機嫌なママ」で過ごしてきたわたしも、「ご機嫌なママも、いつもは無理だな…」と思えてきました(笑)。
「ほどほどにご機嫌なママであればいい」と開き直った
ずっと家族と一緒に過ごしていれば、都合の悪いところも、家族に見せざるを得ないことがあります。
夫も出社、むすめも幼稚園…のときは、ひとりの時間に心身を癒すことができ、「2人が帰ってくる頃には、ご機嫌な状態」にしておくことができました。
でも、今は常にみんなが一緒にいるので(笑)、どうしても疲れが顔に出てしまうことがあるし、不機嫌がにじみ出てしまうことも……。
最初は、そんな自分を「イヤだなぁ」と思っていました。
子どもの人生に悪影響が出たらどうしようかと……。
でも最近、吹っ切れました。
「多少、不機嫌なときがあってもいいじゃないか」と。
ほどほどにご機嫌であればいいと思うことにしました。
子育て全体を通してプラスであればいい
子どもには、すくすく、のびのびと育ってほしいと思っています。
だから、わたしの顔色を伺って行動するような子にはなってほしくなかったんですね。
「子ども時代は子どもらしく過ごしてほしい」という希望がありました。
わたし自身は、家庭環境がすさんでいたので、「子どもらしくいられる時間」がほとんどなかったんですよね。
だから、「ご機嫌なママでいなければ」という強迫観念を、わたし自身が抱えていたと思います。
家族全員がそろう生活が続き、限界を感じたわたしは、やっとその強迫観念を手放すことができました。
「基本的には、ご機嫌で過ごすようにしたい。でも、ときどき不機嫌なことがあっても、まぁいいか」
「長い目で見て、子どもの人生にプラスの影響を与えられればいい」
と思えるようになりました。
「不機嫌なママ」からも学ぶことはある
常に家族がそろっていると、作業の中断がしょっちゅう起こります。
ブログを書いているのに、「ママ、おなかすいた」と声がかかったり、勉強中に夫に「あさっての予定なんやけど…」と話しかけられたり。
家族に必要とされるのはうれしいのですが、声をかけられるたびに、集中をそがれるので、大体、予定していた時間の倍はかかります。
最近は、「話しかけてほしくないとき」を家族に理解してもらうため、「集中モードのとき」は、家のなかをマフラーをつけて歩いていますが(笑)、そうでもしないと自分のペースがつかめないんです。
わたしにとって、「自分のペースがつかめない」というのは、かなりストレスフルな状況。
それが何日も続けば、さすがに不機嫌にもなります。
でも、わたしが不機嫌なら、それはそれで、夫もむすめもふるまい方を考えることに気が付いたんです。
わたしが疲れた顔を見せると、むすめはせっせと片づけを始めます。
(むすめなりに、「ヤバい、ママが噴火する……」と思うのでしょう)
しばらくひとりで遊んでくれることも。
はじめは、むすめのそういった様子を見て、罪悪感を感じていました。
でも、思ったんですね。
「いい社会勉強になるな」って(笑)。
世の中、いつもご機嫌な対応をしてくれる人ばかりではありません。
相手の様子を見て、自分のふるまいを考える経験も大事です。
天気予報で「晴れのち雨」という変化があるように、ママの心の状態に「ご機嫌のち怒り」という変化があってもいいと思うんですよね(笑)。
「ご機嫌なママでなければ、母親失格」みたいな、潔癖な考え方は、手放すことをオススメします。
「ほどほどにご機嫌、もしくは、おだやかな状態」でいれば、いいのではないでしょうか。
白黒思考は、自分もまわりの人も苦しめます。
完璧主義を手放し、柔軟な心で育児に励んでいきましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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