「昔の自分を思い出すと、自分が未熟すぎて恥ずかしい」
「なんであんなに傲慢だったんだろう」
「なんで、あんなに自己主張ばかりしていたんだろう」
こんなふうに、過去の自分を恥ずかしいと思うことはありませんか。
わたしは、しょっちゅうあります。
昔の自分が幼すぎて。にもかかわらず、みんな、温かく接してくれて。
「穴があったら入りたい」とは、まさにこのこと。
消してしまいたいような過去も、ひとつや二つではありません。
でも、思うんです。
こんなふうに、「過去の自分を恥ずかしがれること」ってすごく大事なんだって。
過去の自分が恥ずかしい=成長
「過去の自分が恥ずかしい」と思えるようになった。
これって、「自分が成長した」ということなんですね。
その当時の自分には、その行動が精一杯で、未熟だなんて思う心の余裕も、俯瞰して見る力もなかったわけです。
そんな自分が、冷静に、客観的に自分の幼さに気づけるようになった。
それだけ「成長した」ということなんです。
ということは、「恥ずかしいこと」が増えれば増えるほど、成長している証拠。
「恥ずかしいことバンザイ!」というわけです(笑)。
というか、そう思わないと、生きていけないです、恥ずかしすぎて(笑)。
学びきらなければ、次のステップはない
昔の自分が「恥ずかしい」と思えるようになる(=成長する)には、自分の課題としっかり向き合い、学び切ることが必要です。
「しっかり学び切る」というのが、本当に、本当に大切。
学んで、課題をクリアしないと、同じことでずっと悩み続けることになるんです。
同じようなシチュエーションで、夫婦喧嘩を繰り返す。
いつも、同じことがきっかけで、子どもにイライラする。
いつも、いつも、失敗すると落ち込んでふてくされて終わり。
こんなことを繰り返していないでしょうか。
(上に書いたことは、わたしがよくやっていることですが……)
これらの課題をクリアすることで、新たな学びが待っている。
学び続けることが、何よりも、大事なんですね。
目指すは「何であんなことで悩んでいたんだろう?」
自分が成長したとき、
「何であんなことで、悩んでいたんだろう」
と思うことはありませんか。
わたしは、たくさんあります。
わたしは親との関係から、メンタル疾患を患いましたが、いま思えば、
「あんなテキトーな親の言葉なんて、“ハイ、ハイ”って受け流しておけばよかった」
って思うんです。
その当時は、自分にとって「親が絶対」で、「正しかった」んです。
でも、今は、両親の未熟さに気づき、親の言葉を、
「また何か言ってるわ〜」
と、冷静に対応できます。
でも、そこまでに至るまでには、たくさんの勉強をして、自分と向き合うことが必要でした。
その過程を経て、今は、親との関係も良好になりました。
「学びきる」ことで、次のステップに進むことができます。
目指すは「何であんなことで悩んでいたんだろう?」です。
過去の自分が「恥ずかしくなる」ほどに、成長していきましょう。
学びや気づきは、一生モノ。
一緒に、学んでいきましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
キョロのプチ日記
昨日は、気分転換にちょこっとお出かけ。
うっかり本を忘れて出かけてしまいました。
でも、いつも内省に使っているノートはあったので、見返してふり返り。
自分の考えを深める時間をとることができました。
ちなみに、「自分にとっての成長とは?」というテーマについて考えをめぐらせていました。
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