何かの決断に迫られたとき。
「これで合っているかな?」
と正解・不正解を気にしてしまったり、
「これだったら、批判されることはなさそう」
と、他人の目を気にしすぎていないでしょうか?
他人から見て、「正解かどうか」を気にしてばかりいると、自分の理想の暮らしから離れていってしまいます。
決断は「正しいかどうか」というよりも、「自分が納得しているかどうか」が大切だと思います。
他人や世間から見て「正しい」決断にこだわるのではなく、自分にとって「正しい」決断をすることが重要。
それが、周囲から見ると「まちがっている」としても、です。
その問題、そもそも、正解はある?
何らかの決断に迫られたとき。
「正解」を求めて決断を先延ばしにしていませんか。
それが「正解」がある問題なら、いいんです。
でも、そもそも「正解がない」問題もあります。
子どもの育児方針とか、理想のライフスタイルとか、休日の過ごし方とか。
こういったことは、自分で考えて決めることであって、「正解」はありません。
正解を見つけようとする前に、「この問題は、正解があるのか、ないのか」という見極めが大事になってくるかと思います。
他人から「正しいかどうか」という判断を手放す
自分で決断すべきことがあったとき、他人の目を意識しすぎていませんか。
「周りの人はなんて言うだろう?」
「世間から見てどうなんだろう?」
「これって間違っている?合っている?」
こうやって他人軸で判断をしていると、
「たぶん、世間的には正しい決断なんだろうけど、自分は納得していない」
という事態が起こります。
重要な決断は、他人軸ではなく、自分軸で決断するのが大事だと思います。
ちなみに去年、むすめの登校拒否がひどく学校を休ませていたとき、複数人の人に、
「学校に行かせるべき」
「無理にでも行かせれば慣れる」
という意見をもらいました。
でも、わたしはその意見に納得していなかったんです。
反対意見がある中で、むすめを休ませるのは精神的につらかったのですが、「自分が納得できるほう」を選びました。
(反対している人の意見は、ちゃんと聞きました)
小さな決断から始めよう
「自分で決断するのが苦手」という人は、小さな決断から始めていきましょう。
選択をまちがえたとしても、支障がないことから始めるといいですね。
「今日のお昼ご飯のメニュー」とか、「この1時間の過ごし方」とか。
わたし自身、自分で決断するのはあまり得意ではなく、地道に決断力を育てています。
わたしが決断が苦手になったのは、親の影響も大きいんです。
高校卒業まで、親の過干渉がものすごくて、あまり自分で決めさせてもらえなかったんです。
とは言え、もう35歳!
自分の人生がうまくいかないのを、「親のせい」にしていられる年齢ではありません(笑)。
「わたしは決断力がない」と決めつけてしまうのではなく、「少しずつ育てていく」つもりで、小さな決断を続けていきましょう。
決断力があるかどうかは、「ゼロか100か」で考えないことですね。
ちょっとずつレベルアップさせていけば大丈夫!
一緒に自分を育てていきましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
キョロのプチ日記
昨日は、むすめと近所の公園でキャッチボール。
予想外の方向にボールを投げるむすめのおかげで(?)、犬のように公園中を走り回りました(笑)。
いい汗をかきました。
これまで18時〜21時は「リラックスの時間」としていたのですが、「ただダラダラしているだけだった」という衝撃の事実に、今さら気づき……。
もうちょっと有効に使ってみようと決意。
10〜15分でできる活動を入れてみようと思っています。
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